こんばんは。BaliTodoです。昨日はナチュラルにめんどくさくなって書きませんでした。
チョコレート工場の映画のレビュー、ホットな話題だしもう少し見てもらえるものと思ってたけど甘かったですね。検索にもひっかからないんでしょうね。悲しいです。
さて、高校時代から始まる自己分析で分かってきたことなのですが僕はすごく仲良い人と以外、盛り上げるのが苦手です。
前までは普通だろ、くらいに思っていたのですが大学に入ってまわりの人たちが盛り上げうますぎて、自分が苦手な部類にいることを自覚してきました。
大人数のパーティーとか打ち上げとか行っても、どうも盛り上げられず一歩引いたところでたたずんでる。楽しめない。
なんでだろう、と観察してました。
そして、この盛り上げられる能力、最近分かってきました。もちろん全員とは言わないですが、盛り上げられる人ってだいたい「言ったことに自分で笑う」んですよね。
我々って芸人ではないですから、話す内容自体はだいたいそんな面白いものじゃないわけです。多分たまに、(ずっと話してたら5分に1回くらい?)心から笑える面白い発言が多くの人ができると思うんですが、それじゃあ多分場はしらけたままなんですよね。
5分も真顔で話はもたない。
で、この盛り上げ上手な人たちはコンスタントに笑顔のタイミングを作り出して場を明るい雰囲気にしてるんですよね。この秘訣こそが、「話自体は面白くなくても自分が笑っちゃう」ことなんだと思います。どういうことか?詳しく書きます。
僕のような盛り上げ下手タイプの人は会話に参加してて何かしらの感想、ジョークが浮かんでもいったん自分の中で吟味して、「いうほど面白くないな」ってストッパーをかけちゃうんじゃないかと思います。言ってもしらけそうだし、って。
だから口数は減るし、盛り上がる場を作ることができない。(全くつまらない人かといえばそうではなく、たまに発言するときは笑いはとれてると思います。)
でも盛り上げ上手は、僕がストッパーをかけるようなことも口に出して、言った後にすぐ自分で笑っているような気がします。
こうすることで周りの人は「今笑うタイミングなんだ」って(多少愛想でも)笑えますし、もし笑えないほどつまらない話だったとしても言った本人が笑ってて楽しそうだからいうほどすべった感じに、しらけた雰囲気にならない。冗談の後のシーン…みたいなね。
盛り上げ上手が意図してこのテクニックを使っているのかは分かりませんが(多分なんも意識してないと思います)この「自分で笑う」共通点に気づいたときは腑に落ちた感じがしました。どうでしょう?この仮説。
決して盛り上げ上手は話がつまらんとか言うことではなく、打率の問題。思いつく面白いことの割合はそんな変わらないはずだけど、言うかどうか、そしてそれを楽しくできるかどうか。ここだと思います。
「じゃあお前も使えばいいじゃん。そのテクニック。盛り上げてみなよ」
うん、僕も一度考えたんですけどね。無理そうでした。
僕の場合これにプラスして、「心が冷めてる」っていう欠点があって、さっき言ったように自分だったら言わずにおいてるような冗談に笑うのがけっこうストレスです。
自分で笑うテクニックの存在にきづいてからいかに自分が「雰囲気に合わせて、愛想笑いしているか」に気づきまして、今まで人との会話で疲れていたのはずばりこの愛想笑いにあるとわかりました。面白いと思わないのに、相手が笑ってるから笑うパターンが異様に多いことに気づいたわけです。
だから自分で言った面白くないことに笑うのも自分にはきつい。この作戦は向いてないみたいです。
でもみんなみたいに誰とでもうちとけて楽しくできてるのは凄くうらやましいわけで、僕以外の人たちが「ストレスを感じつつも愛想笑いしているのか」、はたまた「笑いの沸点が低いから笑いやすいのか」はまだ未解明です。(笑いの沸点が低い、なんて書くと上から目線っぽいですがそんなことはなく、楽しむ感性が豊かってことです。)
でも前者とは考えづらくて、そしたらみんな会話をよけて打ち上げとかには消極的になりそうな気がするんですよね。だから多分後者。そしてその感性はうまれつき。
この沸点を変える方法ってあるんでしょうか?今回の話のテーマに関連してゲラってすごく人生得してるな、と僕は思っているんですが意図してなれるものではないですよね、多分。
19歳の自分はここが最近の悩みです。会話を純粋に楽しめる人になりたい。
同じような経験をした人生の先輩にアドバイスが貰いたいなぁと、最近つくづく思います。
まー、可能性としては?自分に自信があるかという部分の可能性があります。自信がないから発言できないのかも?自分磨き、します。
思ったより長い文章になってしまいました。割と本当に、最近こういうことばっか考えてます。だれか、アドバイスないですか。