BaliTodoのモラトリアム紀行

趣味の進捗から、思考の進捗まで、思ったことを日記感覚で残していきます

僕が神様を信じてみる理由

少々日が空きました。名前が知られていないのに名乗ってもあれなので、毎回冒頭にあいさつする下りはやめようかと思いました。

(実ははてなブログのホームで、タイトルと同時に冒頭文が表示されるのを見て「貴重な見てもらえる部分を挨拶で埋めてるのアホかも…」と思った経緯があります)

 

さて、無宗教として知られる我が国日本ですが、あなたは神様、いると思いますか?

おそらく9割くらいの人は「特段何の宗教に入ってるわけでもないけど、ピンチのときとかは神頼みするなぁ」「神社はたまに行くけど別に普段は…」みたいな感じなのではないでしょうか。

僕もそうでした。神様いないとは言い切れないけどまぁいないでしょう!科学的に!と去年くらいまでは思ってたんですが、最近は結構神様の存在を信じるようになってきました。

系統で言えば神道ですかね。神社とか、八百万の神とか。逆にそれ以外の宗教に詳しくないだけなんですが。

 

でも、明確に信じるようになった根拠があるわけではないんです。ふと神様を信じる意味、というかメリットみたいなものって大きいな、と思うタイミングがちょくちょくあったんです。

 

信じる意味、それは心のよりどころとしての神様です。

いるかいないかは知りません。ただ、信じることで人生が少し楽になるんじゃないかと、今の僕は思ってます。

どういうことか、宗教チックにではなく、精神的なメタ思考で説明していきます。

 

1.安心感

まず、不安なとき。受験とか面接とか、命の危機とか、ギャンブルとか。

「神様お願い…!」ってやりますよね?この瞬間だけでも、自分の頭に都合よく表れた神様が、うまいこと運命をいい方向に導いてくれる感覚、ありますね。この安心感こそが、一つ目のよりどころ。

 

2.ポジティブ思考

次にダメだったとき。受験に落ちたり、嫌なことがあったり、とことん運が悪かったり。

これはそう考えるかは人それぞれだと思うんですけど、僕の場合「これは神様が自分に与えた試練なんだ」という風に捉えて楽になります。神様をある程度信じていれば、何か悪いことがあっても、これは神様が決めた運命で何か将来にこの経験が活きてくるんだろう、ってポジティブに考えることができます。このポジティブ思考が、二つ目のよりどころ。言ってしまえば、運の悪さ、自分の悪さを神様になすりつける感じ。

 

3.日々の正当化と希望

最後に良かったとき。受験に受かったり、めっちゃいいことがあったり、運がよかったり。

ポジティブ思考の逆シチュエーションですね。「ありがとう神様…!」とこうやって感謝をすることで、普段自分が頑張ってたからこそいいことが起きたんだ、という日常の生活の正当化にもなりますし、感謝をしているえらい自分をメタ認知することで次も神様が助けてくれる気がしてきます。この日々の正当化と希望が、三つ目のよりどころ。

 

この3つのよりどころとしての神様、どうですか?

僕なりになかなか筋が通っていると思っていて、こうやって考えれば神様を信じる気になりますし、多分こういう理由があるから人類は宗教という概念を生んだんじゃないかなぁ、なんて思ってます。

 

少し話がそれますがもし神様がいなかった場合、何千年も変な人形や像を作り、立派な建築をし、へこへこ頭を下げて戦争までしてきた人類って、すごく滑稽ですね笑

たまに想像して可笑しくなります。

 

話を戻します。

このよりどころとしての神様、すごく都合のいい考え方であることは分かっています。嫌なときは神様のせいにして、良いときは自分のおかげ。ちゃんと宗教をしたら、こんな考え方で神様を信じるのって無礼で怒られるかもしれない。

でも、普段何も考えていないような我々なら、「神様なんだから何でも許してくれるっしょー!」の精神で神様を信じていいと思うんですよね。というか本来宗教ってそれくらい緩いものであってよかったんじゃないかと思います。

 

いかがでしたでしょうか。説得力、ありましたかね。

上のシチュエーションみたいなときに神様を信じ始めてみると、意外と信じる気持ちが強くなっていって本当にいるような気がしてきます笑