「ひとりが好き」だとは思うけど、これが本心なのか、人付き合いを回避するための言い訳なのか、というのは判断が難しいところです。
あけましておめでとうございます。
新年早々映画のような事件が次々と起こり、不安になる元旦でした。燃え盛る飛行機の映像を観ながら速報で全員避難済みと出た時は本当にほっとしました。
今回は大学に入り、自分ってひとりが好きなのかも、と思い始めた僕が考えていることを言語化してみます。お付き合いください
よく大勢とひとり、選ぶならどちらがいいかというのは話題にあがります。高校生までの僕はどっちもあるなぁなどと曖昧な答えだったんですが、大学に入ってからゆっくり思考をめぐらす機会が増えて、最近はひとり派に偏りつつあります。
もちろん友達といるときは楽しいし、このまま帰りたくないなーなんて思う時もあるんですが、やっぱり他人といるって疲れるんですよね。どんなに仲が良くても相手が何を考えているかは分からないことの方が多いし、愛想笑いだってするし、話においてかれないように無理して喋ったり。
4月には部活・サークル・バイトの多方面で新歓だの、親睦会だのありましたがどちらかというと僕は楽しさより疲れが勝ってしまうタイプ。深夜に帰ってきてはぐったりしてました。
一方ひとりであれば気を遣うこともなく自由に時間がすごせます。友達の中には「他人と会わないと寂しくてむり」とか「受験期孤独でおかしくなりそうだった」とか言う人もいましたが、僕は家族と過ごしてたからかそんなに寂しさは感じないですね。
インスタをみて他人と比べて寂しくなるときはありますが、ただ他人と会わないからといって孤独を感じるタイプではありません。
こういう自分の特性をふまえると、「ひとりが好き」なのかなぁ、とは思います。
で・も・ね?
そう結論が出ると一歩ひいたところから考えてしまう訳です。ひとりが好きって言ってるの、人間関係から逃げてるだけじゃないの??って。
結局のところ、他人といて疲れちゃうのって自分が他人に合わせてるからであって、素をさらけ出せない俺が悪いんじゃないの?ただ友達と話を続けるコミュ力がないだけなんじゃないの?友達づくり苦手なだけなんじゃないの?
と客観的に「ひとりが好き」を言い訳に人付き合いを回避しようとしている自分が透けてきてしまう訳ですね。
要は「俺はひとりが好きなんだ。別に友達がいないわけじゃねーし。」という合理化を、自分はしてしまっているのではないかという気がしてくるのです。
この考え方にも思い当たる節はあって。
例えば先ほども話したインスタ。友達が自分以外の数人で遊びに行ってた投稿をみるとすごく胸が痛みますし、寂しくはなります。
例えば陽キャの集団。いつも誰かと一緒にいて、正直に言うとうらやましいわけです。常に誰か友達と呼べる人といられることに多少の憧れがあることは否めません。
でも実際そういう状況になったとすると、多分俺は疲れちゃうし早く帰りてーなどと思ってしまう。ある種のジレンマかもしれないですね。
ひとりが好きだけど、寂しいという。
前に他にもこういう思いの人はいるのか気になって「寂しい ひとりがすき」ってググったことがあって、確かにいるんですよね。不思議ですけども。
要は今の自分が幸せでないと感じているから、他人をうらやんでしまうのかもしれないですね。多分趣味とかに没頭している人はこういう寂しさに悩まないような気がするから。
一応客観的に自分のことをみれているだけマシだとは思うんですけど、客観視できたところでどうしたらいいかは未だに分からないんですよね。
本心としては、そういう飲み会とか特段仲良くない人が多い集まりには参加したくないし、ひとりでテレビ観たりゲームしてたりしてたい。
でもこうやって人付き合いから逃げていることで将来大人になったときに困るような気もするし、経験をつめば慣れてくるものなんじゃないかという気持ちもある。
だから最近は結局行ったり行かなかったりです。大人の方、アドバイス求む。
以上、「ひとりが好き」は言い訳なのか、という話でした。
こういう話って友達にできなくないですか?友達といる時点で「ひとりが好き」とは言いづらいし、だいたい周りの友達は大勢が楽しいって答えるから。
なんか僕の悩み、こんなんばっかりですよ。こういう解決策って誰が教えてくれるんでしょうか。本は対して参考にならないし、検索してももっと参考にならないし。
自分で見つけていくものなのかな。同じこと思いながら大人になった人、絶対いると思うんだけどな。