BaliTodoのモラトリアム紀行

趣味の進捗から、思考の進捗まで、思ったことを日記感覚で残していきます

『家政婦のミタ』を観て父親になるのが怖くなった

10年くらい前に流行ったテレビドラマ『家政婦のミタ』が今再放送しているので観てました。まだ序盤ですが、流行っただけあってかなり面白いです。

ただ昨日3話目を観て、大学生の自分にはまだまだ先の話ですが父親になることの恐ろしさを感じました。

思ったことを言語化していきます。以下、多少のネタバレ含みます。

家政婦のミタを観る | Prime Video

 

家政婦のミタ』第三話。大きなテーマに「父親としての責任」がありました。

長谷川博己演じるお父さんは、数年前に他界した妻が自殺だったことを事故ということにして3人の子供に隠していました。そしてその自殺の原因が自身の不倫にあったということも。

 

しかしとあるきっかけでそれが子供にしれてしまい、地位を得ていた会社でも不倫がばらされてどん底に落とされます。明るかった家庭も険悪に。

子供たちを騙していたこともあって、長女、長男、次男は激昂し、「もうお父さんではない、一緒には住めない」と軽蔑されます。幼いため事情を理解しておらず、「離れたくない」と泣き叫ぶ次女。

 

そんな暗くて生々しい悲劇のシーンで、お父さん(長谷川博己)が泣きながら子供たちにこんなセリフを言います。

 

「俺には父親になる資格なんてなかったんだ。

今となっては妻を愛していたかも分からない。子供ができちゃって、妻には『おろすくらいなら死んでやる』と脅されて結婚した。

子供ができたら父親らしくなるかと思ってたけど、何も変わらなかった。家でもお前ら(子供)と話す前はトイレで気合を入れないとだめで、気持ちが休まるのはトイレと通勤の運転中しかなかった。

妻が死んでからは良い父親になろうって頑張ったけど、お前らには本当の俺が全部見透かされている気がしてずっと怖かった。」

 

凄くないですか。。

普通のドラマなら不倫して奥さんを自殺に追い込んだ父親なんてただの悪役でしかないはずなのに、このシーンで僕はお父さん(長谷川博己)に同情してしまった。

 

普段自分も実の父をお父さんとしかみてないけど、親も親である前にひとりの人間であるってことを気づかされました。

確かに子供ができたら誰もが父親になるわけだけど、当然父親らしくできない、そこまでの余裕がない男性も世の中にはいる訳でして。今の自分も当然そうだと思います。

 

でも立場上父親になったからには子供にとって「お父さん」でなくてはならない。どんな時も子供のことを考え、自分より子供を大切にする義務がある。疲れたからしばらくひとりになろうなんて出来ないですよね、多分。

この不安、恐怖、責任の重さ、ドラマを観ながらヒシヒシと感じてしまいました。

 

今まではいつか結婚して子供が欲しいな、なんて楽観的に考えていましたが、子供を作るということはそれだけ責任が伴うんですね。それも一生逃げられない最大の責任。

 

正直仕事とか人間関係だったら最悪逃げ出して海外にでも行ってしまえば解決するような気がします。これはまだ働いてない若造の未熟な思考なのかもしれないけど、自殺のニュースを見るたび死ぬくらいならどこかに逃げてしまって新しい人生を始めればいいのに、なんて思ってしまいます。

 

でも、今回のは例外。子供とは切っても切れない関係があるということ、今までも分かっていたようで初めてちゃんとこんなことを考えた気がします。

不倫なんかしてたら世間では悪役で誰も味方してくれないだろうし、生きている限り逃げられないということは、逃げる選択肢はひとつしかないわけで…。

もし自分が将来こういう立場になったら、と思うとどうしようもない絶望を感じます。

 

家政婦のミタ』、3話にしてもう悲劇のクライマックス感がありますがここからハッピーエンドにつながるんでしょうか。とんでもないどんでん返しがない限りスッキリ終わる未来が見えないな…